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辛亥革命を成功に導いた者は孫文一人だけではない。中国近代史の中でもひときわ輝く創造の一時代を守り立てた有名、無名の人々は、いったいなにに心を揺さぶられ、なにに悩み、どう生きたのか。感動の人物エピソードが明かす20世紀の意外な真実。
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「(孫文は)ここ2、3年の間に非常に留学生の増えたことにより、留学生中変わった人物がいないかと問うた。(変わり者に関心がある)」p10
「昔日の日本で維新の始まりには、ほんの数人の志士を原動力としたに過ぎず、わずか30年余りで六大強国の一つに至った。今日の勢いでいけば、中国革命の事が成るのは時間の問題で、半分の年月しかかからないであろう」p12
「知識と好奇心にあふれた優秀な留学生たちが急増した日本は、革命思想を宣伝する絶好の場である。彼らこそ革命の中核となり次世代の担い手となるべき最高の人材であった」p16
「とりわけ清朝政府が科挙試験を廃止した1904年以降、清国の若者たちは日本留学熱に浮かされ、雪崩を打って留学し始めた。八千人とも一万人とも言われる大量の留学生が日本に行くことで、将来の清国のリーダーたちが、日本一色に独占されるのではないかという懸念も出てきた」p56
「「華僑は革命の母である」とは、孫文の残した言葉である。無名で働き者の華僑たちが慎ましい生活の中から、それぞれ出し合った僅かなお金が積もり積もって、中国革命を影から支えたのであった」p147
「中国の方言は途方もなく多様であり、省を跨いだら方言はまるで通じないと考えたほうがよいのである」p210
「(義和団賠償金の変換について)少ない投資で最大限の政治的効果をあげ、それをまた宣伝することに秀でたアメリカと、愚直なほどの仕事ぶりで実績を積むイギリスの違いが、はっきりと表れた実例であろう」p232
「(コロンビア大留学経験のある外交官の逸材:顧維鈞(こいきん)」p237
辛亥革命以降も孫文は袁世凱との対決で日本、米国と亡命を重ね、アジアの華僑、そして米国の貧しい中国系移民たちから軍資金を獲得していたという。その人間的魅力はかなりのものだったと思う。議会制民主主義を唱え、孫文と路線の違いがあった宋教仁もその点は一目を置かざるを得なかった。共産中国・台湾双方が孫文を国父としている理由が良く分かります。犬養毅の質問に対して、趣味は革命、そしてWomenと読書と衒いなく答えたところにそれを感じます。中国革命の拠点が日本からハノイに移りつつあったことは、あれだけ日中間の信頼が篤かっただけに、将来を予感させるように思います。
清朝政府を倒すという己の堅固な意志と優秀な同士の存在だけでは革命は成し遂げられなかった。それには、莫大な資金が必要であったのである。孫文は世界にネットワークをもつ華僑や他国の人々からの資金援助によって、ようやく革命を実現したのである。
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