858円(税込)
アメリカ、フィリピン、ヨーロッパ……。社会の分断を煽動する政治家が、至る所で熱い支持を集めている。エリートとインテリを敵視し、人民の側に立つと称するその「思想」は、なぜ世界を席巻するに至ったのか。ポピュリズムは民主主義にへばりついた「ヤヌスの裏の顔」であり、簡単に駆逐することはできない。橋下徹氏と対決した経験を持つ社会学者が、起源にまでさかのぼってその本質をえぐり出す。
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橋下徹のアンチという感じが、私怨にも感じたのでそれが読書のノイズとなったが、測定不可能な定性評価が印象論の本質であり、印象操作を駆使したイメージ戦が大衆に感染していくような描きは、最もだと思った。
本書では、トランプが乱暴な言葉づかいでインパクトを残して煽動するような手法を取り上げたり、橋下徹が市役所を「シロアリ」としたり、ヒトラーがユダヤ人を「南京虫」と呼んだりという例を挙げる。そこには、何かしら大衆の鬱屈した気持ちを拾い上げるような強いパフォーマンスに加え、分かりやすい比喩が合わせ技で「印象」となり、それが良くも悪くも感染していくのだ。寓話化と言ったりするが、これはまさに大衆への分かりやすさを優先した手法で、しかし細部や肝心な部分が覆い隠されていることも多い。要は、より多く共感を獲得したものが影響力を持つ。これは、身近にわかりやすい図式がある。インフルエンサーへの「いいね」である。
ー ヒトラーこそ、現代型ポピュリストの第一号であろう。すなわち、デマと民衆場動を結びつけた人物なのだ。事実、ヒトラーは、「南京虫を征伐できない者は、南京虫に征服されて食われてしまう。ユダヤ人の場合も同じ」といった言辞によって国民を煽動し、ユダヤ人の大虐殺という暴挙を成し遂げたのである。
ー 大阪府の橋下徹知事(当時)は「市役所は税金をむさぼり食うシロアリ。即刻解体しないとえらいことになる」と述べていた。たとえ市役所に問題があろうとも、それを真摯に解決しようと努力するのではなく、市民を場動するために市役所を「南京虫」ならぬ「シロアリ」に仕立て上げたのである。これは、不法移民問題を民衆婦動に利用し、メキシコ側の費用負担で国境に壁を作ると発言したトランプ氏と同じ態度なのだ。市役所の即刻解体など、メキシコの金で壁を作ることと同様、できるわけがない。それを知った上で、人々を煽るのである。
ー あるいは、イスラム教徒は一方の性にだけ特定の服装を強制しているという主張もまた、少なくとも移民批判としては的外れだ。カトリックの修道女(シスター)にしても、イスラム教徒の女性と似たような頭巾を被っているからである。そうしたことは、何も修道女に限ったことではない。フランスでも、一九七〇年代くらいまでは、女性がズボンを穿いて教会に入ることが許されていなかったのだ。女性にだけ、スカートが強制されていたのである。さらに言えば、教会の人手不足から、カトリックの聖職者にも移民出身者が多いという皮肉な現実さえある。ポピュリズム勢力は、こうした事実を全く無視。
最近気になったのは、人の評価で「あいつは凄い」という会話。具体的に何がすごいのかを定量化したり言語化したりという事は難しく、日々の積み重ねで印象が蓄積していくものであるが、その積み重ねは、個々に体験が異なるために必ずしも万人で共感はできない。それも何かというと、結局は、選挙同様、印象論における数の原理なのである。凄いなという評価者が多ければ多いほうが、人の評価は上がる。自分だけ本当のアイツを知っている、という状況ほど、悲惨な事はない。しかし、体験は個人で異なるのだから、そうした悲惨な状況というのは世の中に溢れかえっているのだ。その悲惨さの最たるものが、自己評価との不一致なのだろう、という気がした。我々は、あらかじめ規定された悲劇を生きているのだ。
・国民全体が政治に関心を持ち正しい知識を持たないと、耳障りの良い言葉を撒き散らすポピュリズムは台頭してくる。
・国民全体が政治リテラシーを上げるなんてことは不可能であるからポピュリズムの出現はこの不安多き社会では必然だった。炎上商法、迷惑系、強メンタル信者なども同じ原理だろうと思った。
・まずは自分に知識をつけることを最優先とし、その後自分への不利益を最小限にするもしくはそこで得できる方法論を考えていかなければならないと危機感を持たせてくれる一冊。
以下覚書
・綺麗事ではなく本音むき出しでやり返すことがポピュリズムの本質であり、それが実現されるかどうかはもはや重要ではない。
・弱者が自分の評価を下げずに強者へダメージを与える手段。復讐。
・多くの人々の本音が汚れてゆく時、ポピュリズムが台頭する。
・国会議員という名前であろうと、意思決定が一部の者で行われる限り貴族政である。
・選挙による貴族政を支持したルソーは民主主義批判の始祖とみなさせる。
・間接民主主義は国会議員であるエリートとその他の人民という対立構造を生み出し、その中で人民側に立つことがポピュリズムの基本構造だ。
・民主主義のエリートvs人民という構造からポピュリズムが発生したとすると、ポピュリズムを否定することは民主主義を否定することになる。なぜならポピュリズムはもっと人民の声を拾えという訴えであるから、それを否定することは支配的な関係を肯定することになるからである。
・ロマン主義とは古典主義への対立として生まれた思想で、それまでの理性偏重、合理主義に対して感受性や主観に重きをおいた運動で恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴を持つ。産業革命の反動でもある。欧米におけるポピュリズム型の政治活動は、大なり小なりロマン主義の影響を受けている。とりわけ、いわゆる反エリート主義の中に、その波紋を見ることができる。
・ポピュリストは、必然的に独裁を志向せざるを得ない。政策が空虚で主張が一貫しない以上、特定の人物を投票の目印にせざるを得ないからである。当然のことながら、その人物には、多くの人々を惹きつけるだけの象徴性が必要となる。その際の最も一般的な手法が、人物攻撃になる。人民対人民の敵という二分法を設定し自分だけが人民側にいるメシアであり、批判者は改革の妨害者だと喧伝する。かくして、多くの人々が確かに改革は必要だといった形で丸め込まれてしまう。
・人民の敵を叩くという救世主的な演出は代議制の間接民主主義を非難することによってしか存在ない。その一方で、自らも選挙に立候補し、民衆煽動によって多くの票を集める。ここで自体は少しばかり錯綜する。ポピュリストたちは、間接民主制放棄しながら、間接民主制を利用して伸ばしているからである。
・対立する政党がぶつかりながらも妥協案を探すことができるのが民主主義であるがポピュリズムは人民と人民の敵という構図であるから妥協による共同意思はあり得ない。つまりポピュリズムは民主主義の破壊である。
・市民革命によってブルジョワジーが誕生すると、富裕層の市民は経済活動の自由と私的所有の自由を最優先し低負担低福祉の小さな政府を求めた。この市民革命によって王政を倒した状態を維持しようとするのが右派と言われる所謂保守派である。一方小さな政府を求める運動別に、富裕層ではない庶民層が自由放任より平等を強く要求する、つまり富の再分配や福祉的改革を求める動きが現れるこれが左派。ただし、伝統が何かによって保守するものが変わるので注意が必要。たとえば宗教国家では保守は伝統的な宗教の教えを守ることになる。
・ポピュリズム勢力に対する批判は自ら敵役を買って出る事態となる。代議制民主主義の中では国民側が変わらなければならない。
・ポピュリズムは大衆に迎合する態度ではなく、人心を荒廃させる煽動だ。
日本維新の会批判の書。この度の衆院選の躍進について考えるヒントにはなるかもしれないが、著者の偏見も感じられるので、その辺は割り引いて読む必要はある。マジメに書けばそれなりの作品にはなったのではないかとも思えるが、新書だからこういう作りにしたのかもしれない。ただし「ポピュリズム」を敵視して、扇情的な文章を書くのもまたある種の「ポピュリズム」ではないのかと思えてしまう部分も無きにしも非ず。
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