ならず者と遊び人が集った蕉門、美男弟子との衆道関係、あの句にこめられた危険な秘密……いつしか神格化され「求道の人」のアイドルとなった松尾芭蕉。しかしその素顔は、芥川龍之介に「日本の生んだ三百年前の大山師」と言わしめるほど、凄腕の不良(ワル)だった! 「俳聖」を敢えて俗人と同じレベルで再考し、犯罪すれすれのところに成立した俳諧の真の凄味に迫る、画期的芭蕉論!
芭蕉については、大学の共通教養で芭蕉の講義をきいて面白かった。それっきりだ。だから芭蕉の意外な側面、知られざる芭蕉、なんていうとそれなりに興味深い。でも、たとえば西鶴について、原稿料踏み倒しの一件なんて聞くと、あれ、「都の錦」というインチキ野郎がでっち上げた話だろう、と。そりゃ同時代人が言うことだし、ホントかどうかわからないといわれそうだが、都の錦は西鶴をこき下ろして自分を売り込みたいやつで、こき下ろしながらちゃっかり尻馬に乗ろうという卑劣漢である。訳あって鹿児島城下で籠舎の身となり、こんなに落ちぶれた私は生きていても仕方ないから首を刎ねてちょうだい、という訴状に書き出した身の上話にちゃっかり「伊藤仁斎の弟子でした」なんて嘘を混ぜる男。それを真に受けるわけ? デタラメすぎて読んでいられなくなる。『芭蕉』は栗田氏の力作が最近評判になって、なんとなく私も〈芭蕉もの〉を買って読んでいるのだが、気分悪くなってきた。うう。……でもどっかからアラシヤマコウザブロウゴトキが書いてんだからカンベンしてやれ、と、聞えてきたのは空耳かしらん。
2人が参考になったと回答
はじめ小説だと思っていたのだが小説じゃなかった。芭蕉論あるいは蕉門論。でもあまり俳論には
深入りしていないところがいいのかもしれない。
衆道関係の記述が多く、そこらアタリが著者の面目躍如というところだろうか。
松尾芭蕉についての一時の安らぎ。旅の快感は俳句の快さと比例している。俳句は世界からみても短い詩である。詩の中から人心がにじみ出ているのが不思議である。快い。
現実の芭蕉はこんなもんだろう。俳聖として作られた虚像。後世に残る様な俳句を創るのだから両刀遣いが丁度かもしれない。
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