660円(税込)
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かったーー。昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。幾度となく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令……。「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。
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ガダルカナル島の「生命判断」
立つことのできる人間は・・・・・・寿命は三〇日間
身体を起して坐れる人間は・・・・・……三週間
寝たきり起きれない人間は・・・・・…一週間
寝たまま小便をするものは・・・・・・三日間
ものいはなくなったものは・・・・・・二日間
またたきしなくなったものは・・・・・・明日
小尾靖夫少尉の日記の記録です。
ガダルカナル島に投入された日本兵は3万1千人。死亡者は2万8百人。
この67%の殆どが飢えと病で亡くなっています。
ガ島の壮絶さは有名ですが数字にして改めて見ると、当時の大本営の杜撰な作戦に腹を立てる飯田さんのお気持ちも分かります…。
この夏、尾上さんの1945シリーズを拝読していて、ふと友人のY氏と観た『野火』を思い出していました。
そこで以前から気になっていた海軍民政府としてニューギニアで過酷な戦場を生き延びた飯田さんのこちらを拝読。
そもそも飯田さんはアジア民の解放と言う志があって従軍したのに、蓋を空けてみるとそのアジア民を手にかけないとならない戦場に放り込まれた訳です。
捕虜を殺害した罪で後にオランダで戦犯として裁判にかけられますがこの際の飯田さんの苦しみはいかほどだったか…
危うく異国の収容所で命を落とす所だった飯田さんですが、オランダが保有していたインドネシアが独立した事により生き永らえて下さいました。
本書はひたすら辛いです。途中で何度か本を閉じた事もありました。
飯田さんの実体験や集めた手記が度々引用されるので非常に貴重な文献であるのは間違いないのですが、リアルさ故に苦しくなります。
蛇や軍犬、軍靴まで食べられると思ったものは何でも口にする。戦って国の為に死ぬ事も叶わず、降伏も許されない。
海軍なのに山で飢え死にしないとならない。味方に救って貰えると漸く陣地まで辿り着いたのに、これ以上は受け入れられないと返り討ちにされる。
病人は自決を強いられる。共食いまで…
軽く書いただけでも目を逸らしたくなる方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。
ですが、飯田さんが本書を執筆された理由は、悲惨だ、怖い!で終わらせる為では無いのです。
本書から引用します。
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「毎日、頭上から敵機が散布する降伏ビラが降ってくる。それには立派な日本語で書いてある。
『君たちはすでに尽くすだけは尽くしたのだ。いたずらにジャングルの中で爺死すべきでない。潔く降伏してこい。米軍は君たちの衰弱し切った身体を、速やかに豪州に 送って静養させる。ジャングルに無駄な死に方をするな。このビラを掲げて来ればよいのだ。君たちの親、兄弟が待っている』
降伏は日本軍には絶対だめだ。俺たちは小さい時から、もちろん軍隊においても、そう教育されてきた。そのため、このような哀れな姿になっても、敵には降伏しないと今日まで
あらゆる苦難に耐えてきたのだが(中略)
だがいまほど、人の生死について考えさせられたことはない。
なぜこんな無駄な死に方をしなければならないのだろう。いやだ、いやだ。背筋が震えてくる。
俺は石にかじりついても生きていたい。家族の許に、這いずってでも行きたい」
三橋氏のこの痛切な思いは、若い世代の人たちにどう伝わるでしょうか。
その事を考えるために、まさに私は嘔吐を抑えながら、かくも無残な記録を読み返しているのです。
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ひまわりめろんさんの仰っていた考える行為です。考える事によって何かが変えられるかも知れない。
なので、目を逸らしたくなる体験記と数値と向き合う事が大切なのです。
飯田さんは我々後の世代に託す為に本書を書かれたとあとがきで仰っています。
ですが、こういった文献を多くの方に薦めると言うのも難しいので、せめて私が一番心に響いたあとがきを一部、そのまま載せたいと思います。
もし、いつの日か読んでみようと思われている方はネタバレになりますのでここでお止め下さい。
私のような小物がひっそりと拡散するだけでも、平和の道に少しでも近付けていると信じて…。
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この酷いとも凄惨とも、喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論をしても虚しいばかりだと私は思います。この思いが、人生の終末を生きている私に、この原稿を執筆させる動機を与えたのです。
嫌なことには目を向けたくない習性が、人間にはあります。嫌なことを忘れることによって、人間は生き延び得るのかもしれません。この習性は個人には慰める役割を果たしても、一国家や民族には許されません。六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧するからです。今日の日本を覆う腐敗や犯罪をもたらしている禍根は、ここに淵源していると私は考えています。
戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください。」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。
もうひとつだけ事例を挙げます。戦争末期。日本の都市は、アメリカの絨毯爆撃によって壊滅的な打撃を受けました。何十万人もの老人や女、子供が焼き殺されました。
さらに広島、長崎には、事前の警告なしに原爆が投下されました。これが戦争犯罪でなくてなんでしょう。一方で、落下傘降下して捕虜になった敵の飛行兵たちを処刑した日本軍の将兵は、戦後、戦争犯罪者としてスガモ・プリズンで処刑されています。
その爆撃作戦を立案し、指揮したのは、アメリカ軍のカーチス・ルメイという空軍少将でした。戦後彼は、空軍元帥にまでなっています。その彼に、日本政府は昭和三十九年、勲一等旭日大綬章を授与しているのです。もちろん天皇の名によってです。授章の理由は日本の航空自衛隊の育成に協力したことでした。
ヘドが出そうです。ねじれにねじれた戦後日本の在り様こそが、ニューギニア島はじめ太平洋の島々で、飢えて野垂れ死にした兵士たちの実相を、直視することから目をそらしてきた結果としてあるのです。
歴史の闇に閉ざされてきたこのおぞましい事実を、白日の下に晒すことによって初めて、今後の日本がたどるべき進路が、浮かび出て来るのではないでしょうか。
腐臭に満ちた日本の道徳的、倫理的再建の糸口もまた、そのような営為を通してのみ、見出される筈だと、私は自責の念を込めて思うのです。そのために、自らの行為も敢えて曝しながら、この原稿をまとめる作業をしてきました。
「あの戦争は酷かったんですね」という感想で終わることを、深く懸念しているからです。
飢えて死んでいかねばならなかった兵士たちの心情を、私はこの本で、どれほど伝えられたでしょうか。それらが読者の皆さんの胸に少しでも多く、長く残ることを願いながら、筆を擱きます。
平成二十年六月
飯田 進
ニューギニアからの帰還者伯父の話を裏付けるための資料として読んだが、類似しているところが多々あり、参考となった。
「なぜあれだけ夥しい兵士たちが,戦場に上陸するや補給を絶たれ,飢え死にしなければならなかったのか.その事実こそが検証されねばならなかったのである」(p.177) 死亡要因の大多数(その比率が欲しいが)は ・飢えと悪疫(マラリア・アメーバ赤痢) ・補給兵力・物資の喪失(輸送船の沈没・空襲) 原因は攻勢終末点(兵力・補給の供給可能限界点)を超えて攻勢を行なったため. WW2関連の話は美化して終わりということが多いけれど,そこからの教訓は軍属でなくても知っておくと良いのかもしれないなと.
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