予備学生として魚雷艇の訓練を受け、のちに特攻志願が許されて震洋艇乗務に転じ、第十八震洋特攻隊の指揮官として百八十余名の部下を引き連れ、奄美諸島加計呂麻島の基地に向かう。確実に死が予定されている特攻隊から奇跡の生還をとげた著者が、悪夢のような苛烈な体験をもとに、軍隊内部の極限状況を緊迫した筆に描く。野間文芸賞、川端康成文学賞を受賞した戦争文学の名作。
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野間文芸賞と川端康成賞のダブル受賞という地味に凄い作品。
特攻隊から生還したという特異な経験が、当時の感情を交えて静かな筆致で描かれる。
幾度もキャリアで使われた本テーマが、晩年での想起という点も感慨深い。
―20081023
1986年に島尾敏雄が亡くなった時、文芸各誌はこぞって島尾敏雄追悼の特集をしている。そのなかで生前の島尾を知る作家や批評家が追悼文を書き、もっとも評価する島尾作品を挙げていたのがあったが、「死の棘」-6票、「魚雷艇学生」-7票、「夢の中での日常」-2票、といったものであった。概ね批評家たちは「死の棘」を挙げ、作家たちは「魚雷艇学生」を選んでいた。
巻末で解説の奧野健男は、「晩年の、もっとも充実した60代後半に書かれたこの作品は、戦争の非人間性の象徴ともいえる日本の特攻隊が内面から実に深く文学作品としてとらえられ、後世に遺されたのである。それはひとつの奇蹟と言ってもよい」と。
海軍予備学生となった主人公の青年が、創設されたばかりの魚雷艇を志願し、特攻隊として戦争にくわわることを予定された彼の日々の訓練をつづった作品です。
ほかの学生たちにくらべてやや年上の青年は、予備学生となった当初から、周囲から浮いた存在として、彼らのようすを観察していることがえがかれています。それでも、彼もまた戦争へと向かう状況から離れた立場に立っているわけではありません。彼は、特攻隊に身を置くことになりながらも、そんなみずからの運命をどこか遠い所からながめるように記しています。
こうした著者の独特のスタンス、たとえば次の文章によく示されているように感じます。「私は勢い荒々しく声を張りあげて叱咤する結果にならざるを得なかったが、考えてみればつい一、二箇月前までは、魚雷艇の操縦もままならず、魚雷の発射操作に至ってはまるきり飲み込めずに、教官から罵声をあびせられ、指揮棒代わりの棍棒でこづき廻されていた私ではなかったか。それはおかしな具合に意識の中で現在と二重写しになりながら、震洋隊一個艇隊の艇隊長としての配置を与えられただけで、滑稽なくらい自信に満ちた態度で彼らに訓練を施す姿勢が執れている自分を見つめているもう一人の私もいたのだった。」不思議な感懐であるようにも感じますが、戦争において死がせまりつつある状況というのは、あんがいこのようなものであるのかもしれません。
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