富を求めるのは、道を聞くためーーそれが、経済学者として終生変わらない姿勢だった。「自由」と「利益」を求めて暴走する市場原理主義の歴史的背景をひもとき、人間社会の営みに不可欠な医療や教育から、都市と農村、自然環境にいたるまで、「社会的共通資本」をめぐって縦横に語る。人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済思想の巨人が、自らの軌跡とともに語った、未来へのラスト・メッセージ。
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経済学者は、経済学を超えて人々を幸せにするるために学問をし、行動、発信してきた人だということが分かった。ノーベル賞も取れたかもしれなくて、そうしたら、この人の業績が最も知られたと思うので残念。ミルトン・フリードマンの悪行がよく分かってよかった。
P.153-155辺りの“ブラジル・アマゾンのメディシンマン”の話が印象的。
ヒトは、“自分が良ければ良い”という自然や社会にとっての“ガン細胞”にしかなり得ないのか?…
増殖して自らの棲み家である自然をも破壊し、自ら同士でも殺し合い・憎しみ合いを繰り返す、自己学習すらしない悲しい存在なのか?…
思えば遠くへ来たもんだ…よろしく哀愁
著者宇沢弘文が遺した、これまでの講演やインタビューを1冊にまとめた本。宇沢は「社会的共通資本」という概念を生み出したことで有名であるが、これは著者がシカゴ大学で教鞭を取った時代に関連する。当時のアメリカは、第2次世界大戦で勝利して以後、覇権国家として君臨した。経済活動においては、ハイエクやフリードマンといった新自由主義(ネオリベラリズム)が主流であった。これは、ケインズ経済学と異なり、政府の介入をできる限り最小限に抑えて、個人が自由に活動できる経済体制である。しかし、本書を読むと、ハイエクとフリードマンの思想は、厳密には違うことがわかる。ハイエクはたしかに自由を重視したが、人間の理性について懐疑的な立場であった。それに対してフリードマンは、なんでも市場に任せればうまくいく、全てはお金に代えられる、という市場原理主義を信奉した。ちなみに、フリードマンは、共産主義から自由を守るために、ベトナム戦争における水爆の使用に賛同したり、麻薬の取り締まりに反対するなど、筋金入りの市場原理主義者であった。このように、個人の自由を重視するがゆえに、フリードマンはミクロ的な思想を注視する一方で、マクロ的な視点は、論文や発言から確認できない。これらの思想をふまえて、宇沢は以下のように主張する。「リベラリズムとは、本来、人間が人間らしく生きて、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界を求めて学問的営為なり、社会的、政治的運動に携わるということを意味する」と。
また、本書の後半で、「社会的共通資本」の意義についても語るが、なかでも自然に対する畏敬がうかがえる。森ひいては自然環境を守ることは、人間の生存にとって不可欠であり、人間の経済、文化、社会活動において重要な役割を果たす、ということを強調する。それ以外にも、戦後日本社会の矛盾、とりわけ日本の都市化と地方の過疎化について指摘する。著者曰く、日本の場合、20〜25%程度の農村人口が必要だといい、大切なのは、各国が持つ歴史と文化を守り、次の世代の人たちのためにも、協力的な解決であるという。興味深いことに、著者は中国を訪ねて、総書記を勤めた趙紫陽から、著者の主張に共感した。本書は石橋湛山とケインズについても触れるが、石橋湛山はヒューマニズムを重視しており、人間が人間らしく生きるための経済を考えたと賞賛する。以上から、宇沢弘文がどれほど自然と人間との共生を重視したのかがわかる。
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